約18年連れ添った車を廃車にすることに決めました。
理由はいくつかあります。
- 自分が無職になりそこまで乗らなくなったこと(月に100km程度)
- 塗装が剥げて恥ずかしいこと
- 青空駐車で今後夏の暑さに耐えられないかもしれない
- 車の部品を交換するタイミングが一気に来そう=お金がかかる
お金がかかることがやはり大きな理由です。
塗装を直すにしても
- ボンネットで5~6万円、
- ルーフでも5万円以上
合計で10万円もかかってしまいます。
またバッテリー(3万)やタイヤ(9万円)、ブレーキパッドなどの交換時期も重なるため15万円程度かかることが予想されます。
毎年の自動車税が4万円、
2年に一度の車検費用10万円程度、自動車保険、駐車代金など諸々含めたら年で20-30万円は軽くかかってしまいます。
大好きだった車なので手放すことがとてもつらく悲しいですが、
車はただの鉄の部品、快適な生活や通勤通学をするための道具、ではなく
私の気持ちとしては
- 思い出を共有した仲間
- つらい時も悲しい時も、楽しい時やうれしい時も連れ添った相棒
- 人生の時間を一緒に走った同志
のような感覚です。
今まで仕事の通勤で使う場面が多かったですが、大きな故障などせず、車に支えられていたような気がします。
仕事帰りはブツブツ文句を言いながら、発狂しながら、泣きながら運転して帰ることも多かったり
北海道を一周したり、車の中で歌を歌ったり、
いろんな思い出を作りました。
本当にありがとう。
私がこんなにも悲しくて泣けてくるのはおかしいのではないかと思い、ネットで検索をしてみました。
愛車を手放し号泣
調べてみると、愛車とお別れするときに号泣するなど、ほかの人も同じように思っている方が多いようで少し安心しました。
11年で27万キロの車を手放した
上の記事の方は、11年で27万キロ走行され、飛び石でガラス交換にお金がかかるため、ご結婚の際に泣く泣く手放されたとのこと。ちゃんとこまめに5000キロでエンジンオイルの交換をされていて、お手入れをされているのがわかります。
ほかにも愛車とのエピソードで思わず涙が出てしまうものがありました。
若いころに手放したGTRと再会した話
若いころに買ったGTR、とても大切にしていたが、結婚を機に手放し、現在は45歳、所帯を持っている主さん。21年の月日を経て、再度オークションで出会い、手放したGTRを400万円で競り落とします。
走行距離は7万1442キロ、俺と別れたあと3万8000キロ走ったそうだ。売り文句は、1500毎のオイル交換、必ず暖気後運転。オーナーは2オーナー、あの後、21年間大切にしてくれてたかと思うと涙が止まらなかった。
俺が若い頃に手放した車と再開した話
とりあえずエンジンをかけてみる事にした。
電源と燃料ポンプをオンにしてセルを回してみる。
キュルキュル、、ヴォン
昔と何1つ変わらないエンジン音がそこにはあった。今となっては喧しいマフラーその一個一個に涙がでたよ。自分が泣き虫だって嫌になるくらいに
私も結末には思わず号泣してしまいました。
ご興味ある方は、続きはこちらから読んでみてくださいね。
愛車との出会い|One in a million
私はこの車と出会った日を今でもありありと覚えています。
そのときに乗っていた車が12年半、オルタネーターがもう故障していて、バッテリーを替えてもすぐに上がってしまうという不調に見舞われました。次の車検までに車を見つけないと…(前の車もかなり長く乗っていましたし、お別れするときにも泣きましたが、この車を得られる高揚感が勝っていました)
私にはずっとほしい車がありました。それが今の車です。
MTで乗りたかったので、新車で買おうとディーラーに見に行くと、
すでにマイナーチェンジ後で私の欲しかった色の車はもう新車では設定がありません、と言われました。
試乗車のオートマをパドルシフトで運転しながらもなんか面白くないな~と思い、
次の週に少し遠い中古車のディーラーへ出向きました。
そこで、こういう車が欲しいのですと条件を提示しました。
色はこれで、MTで、
なるべく走行距離年式が行ってない車で…
ディーラーの方は、いろいろと調べてくださり、
今はATで同じ色の新古車ならあるのですが、MTはありません…
と残念そうにおっしゃいました。
私もすぐに見つかるとは思っていないので、もしMTの在庫が出てきたら教えてください
といってそのお店を後にしました。
そして家に着くまでの道のりの間、携帯に着信が…
出てみると先ほどのディーラーの方でした。
出ましたよ!!!〇〇さん!
すぐお店に戻ってきてもらえますか?
と意気揚々としてものすごい興奮気味でおっしゃっていました。
私は車をUターンさせてすぐその店に戻りました。
そこにあったのが、今の私の車です。
ディーラーの女性が、私が帰った直後に、
積載車に乗ってやってきた車が、リクエストの色で、そしてMTだったらいいな~と思っていたらその通りの車が来たと興奮気味で話してくださいました。
1年半しか乗っていなくてほぼ傷もない、2万キロくらいの走行距離。
試乗させてもらい、その場ですぐに購入を決定しました。
これは運命だ!と思った点がもう一つあります。
実は私の誕生日が、この車の登録日、つまり同じ誕生日だったとわかりました。
私の欲しい車が、
ディーラーに行ったその日に見つかり
しかも同じ誕生日だったこと。
これは、おそらく運命だったのでしょう。
だから私はこの車に出会えたことが本当に万に一つの奇跡であり、感謝の連続で、あれから18年大切に大切に乗ってきたつもりでした。
また、前職場でのその当時の代表者との採用面接では、
偶然にもその代表と偶然同じ車に乗っていることがわかり、意気投合し、採用されることになり、この車がラッキーを運んでくれたのも間違いありません。
「たられば」の後悔
もし今、働いていたならば
- 塗装を直す
- 足回りの修理をして
- タイヤやバッテリー交換
- 必要に応じた修理
ちゃんと車の手入れをして今回も車検を通していたと思います。
「もし、たられば」が私の頭でこだまをします。
私には足りなかった覚悟や勇気。
働かない、無職である=外に出ない
- 収入がない
- 出し惜しみ お金が出たら入ってこない恐怖
- いい部品を使わずに交換をおろそかにする
- 安い車検屋を利用して最低限の整備になった
しかしそれでもここまで持ってくれた車に感謝しかありません。
何もできなくてごめんなさい…と何度も言っています。
いつもだったら車が待っている駐車場に車がないのを見て、また涙があふれてきてしまいました。
まだ使える車を廃車にしてしまった悲しみや罪悪感、
そして車を頻繁に使うことのない無職の自分、なんてダメな自分なのだろうと
さらに追い打ちをかけて自分責めに走ります。
まとめ|深い悲しみだけが残る
大切なものはお金じゃないんですよね…
大切なものや人を思う気持ち、ですね。
いくらお金がかかっても、今回ばかりは車検を通したほうがよかったのかどうか、廃車の選択が正しかったかどうか私にはわかりません。
今後のことや、無職の無収入の状態を思うと、
これ以上お金を減らす勇気がなかった
車を持ち続ける余裕がなかった
といったほうが正しいのかもしれません。
なくしてしまった今は、お金よりも大切なものだったと感じています。
廃車買取で3万円を受け取りましたが、まったくうれしくありません。
100万円かけてでも直してあげたい、それくらいの愛情と決意を持てたらよかったのかもしれません。
- 無職で無収入、
- 将来のお金が減るほうが怖い、
- あまり乗らないのにお金をかけたくない
結局はお金の恐怖のほうが勝ってしまい、今回の顛末となりました。
物を得るときのワクワク感、高揚感よりも
失うことのつらさ、喪失感のほうが数十倍つらいことがわかりました。
代わりの車がないことも拍車をかけています。
私の中で車との思い出はいつまでも生き続けると信じて。
しばらくはつらい日々が続きそうです。
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