今回もメンタルカウンセラーの山根さんのYouTubeからの要約です。
相談者さんからのお悩みで
「宅配便を時間指定したのに来ない。言い訳ばかりでなぜできないのかわかりません。
私ならできるのにと思ってしまう…そんなに難しいことを要求しているのでしょうか?」
というかなり上から目線の質問が来ました。
その裏側に隠れた本心とは…?
私はこの質問を聞いて、本当に自分にはできるのだろうか?と思ってしまいました。
たしかに数件だけ宅配することなら誰しもできることかもしれませんが、時間通りに交通状況や繁忙期具合などできない理由は山のようにあると思います。やってもいない人間が簡単かどうかなんて答えられませんよね?
山根さんはこのように答えています。
努力で作られた自分
この相談者の方は
我慢して、できる状態を作って生きている
この人は自分はできるのに、とは言うが
実際は本人がやったってできない、時間指定で配送するなど無理だろう。
しかし
そもそも自分が努力して無理して頑張って、できない自分からできる自分を作っている
ということが原因で
素のままの人に対してイラつく
できない人に対してイライラする
という現象が起きている。
自分に求める基準が高い人なのか?の問いに対しては:
人は誰もが自分に要求する水準は低い。
むしろ他人、誰かから高い基準を求められ、その基準に自分を合わせにいった結果
自分が頑張って高い水準になったときに元の自分と乖離しており
もともとの低い水準だった自分、素の自分の水準を見ているとイライラしてしまうという自動反応が出てくる
ということです。
ほかの人が素の自分と同じことをやっていることが気になってしまう、そもそも自分にも同じようなところがあるから、それが他者を通じて自己の投影として出てきているということでした。
これすごくわかります。
前回の記事の例でいくと、自分は咳をすると死ぬほど殴られたのに、ほかの子どもで咳をしても手で覆わなかったり、そのままくしゃみや鼻水などをそのままにしているのを見て、ムカついてたまらなかったです。自分は殴られたのにあいつらはなぜ殴られないんだと、心の奥底では怒りが渦巻いていました。
やってはいけない考え|きれいなヘリクツ
そもそも遅れてきた人に対して
「できないこともあるよね…」「ドライバーさんの都合もあるでしょうし…」
と相手の思考をくみ取ることもできますが
その考え方をするということは
相手の事情をくみ取って
自分の心、感情をおきざりにする
ということです。
そもそも来られるかどうかは相手の問題であり、来られなかったことと自分には関係ない。
自分はその時間に来てほしかった…
という自分の気持ちに嘘をつかないことが大切です。
まだ怒っているほうが健全だと山根さんは言います。
相手の問題と自分の問題を一緒にしないことが重要
きれいなヘリクツで自分の気持ち、感情にフタしていませんか?
できない自分を抑制
できない自分➡必死に頑張ってできる自分になっているという認識がない(素の自分とできる自分が乖離している)ためにできる自分しか見えていない。
本当はできないけれども、頑張って努力してできる自分になっているという自分の認識があるならば
そのため「なぜそんな簡単なのにできないんですか?」という言い方になっている。
できない人に対してイライラしてしまうのはそもそも自分ができない自分であることに気づくことが重要。
「まあそうだよね、私もできないときあるし…」というフラットな言い方になる。
できない自分を抑圧しているか、見ないようにしているか、忘れてしまったのか、できる自分だけしか見えていない、認識していないとこのような現象が起きる。
解決法:
「何もできないままそのまま素の自分が大人になっていたらどうなっていただろうか?」ということを想像する
まとめ
もともとは何もできなかった自分。
よく頑張りましたね。
今のご自身になられるまでにどれだけ努力したことか、どんなに頑張ったことか…
日本人はとくにこの傾向が強いように思います。今の日本社会の求める水準が高いというか、個人の特性などを全く考慮せず、ただ一律に高い技能を求められます。
我慢して耐え続け、ひたすら努力を続け、他人の求める水準に達するまで頑張り続ける…心の病気にかかる人も多いことでしょう。
本当は何かあってもなくてもいい、何かできてもできなくてもいい、
自分の価値は変わらない。
それを信じられるようになりたい!
極端に言えば、たとえ1円しか稼げなかったとしても自分の価値は変わらないってことでしょうか?
いやはや…またそれはこじつけのような気がしてなりませんが😅
最後までお読みいただきありがとうございます。
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