過去の職場のフラッシュバックが襲ってきた。
その当時は自分では味方もおらずどうすることもできなくて、相手から言われっぱなしのサンドバック状態だった。
少しでも反論すれば、火に油を注ぐような倍返し以上のひどい目が待っていた。
女上司がトップダウンで自分が法律のような戒律を持ち、その基準も人によって違う。(まるで北朝●)
自分が困っているときにはこちらが手伝うのが当たり前のような態度で指示を出し、私の困っている場合にはびた一文ヘルプもしない。なぜできないのかと文句だけを言う。
そのときの悔しさったらありゃしない。
言いたかったのに言えなかった悔しさや恨みつらみがたくさん出てきて、本当にみじめな気持ちになった。
言えてない=癒えてない傷だ。
正しさに張り付けられた思考
人を憎んだり恨んではいけない
一般的に人を憎んだり、恨んだり、いつまでも悔しい思いに浸って反芻思考をしていることはダメなことと言われている。
- 人を憎んではいけない
- 恨んではいけない
- 人の悪口を言ったり愚痴泣き言をいうべきではない
- 思い出さずに早く忘れたほうがいい
これができないから、落ち込んでいる、悩んでいる。
正しい(とされる)ことができないから、とても苦しいのだ。
同じように「自分責め」はしない方がいいとされる代表だ。
しかし、責めてはいけない=とても苦しい
人はそれしか選択肢がないとなると、それができない自分はどうしようもなく自分がダメな人間と思えてきてしまう。
どっちを選んでも正解
どちらを選んでも正解、と思えば少しは気が楽になる。
たとえ嫌な感情や、禁忌などがあったとしても
それが沸いてくるのを止めることはできない。
たとえば、自殺してはいけないということ。
これは一般的なタブーの一つ。
もちろん自殺はいけないことかもしれない。
しかし自殺はダメ、それだけは絶対にダメ、と思っていればいるほど執着になる。
思考が止められなくなる。
生きていても死んでもいい。
これくらい振れ幅がプラス、マイナスがあるとすごく生きやすくなると感じるのだ。
どの位置にいても、いいんだと許された気分になる。
- 太っていても、やせていてもいい
- 健康であっても、病気であってもどちらでもいい
- 効率がよくても、悪くてもいい
- 夜中まで起きていても徹夜してもいいし、何時間寝てもいい
- 人並みにお金を稼いでいなくてもいい もちろん稼ぐのもOK
- 働いていても、無職でもいい
- キラキラと輝いていてもいなくてもいい
- 立派な人間でいようとしなくてもいい
- 自分に向けられた理不尽な攻撃に対しては怒ってもいい、でも怖くて反論できなくてもどちらの自分でもいい
- 他人からみて廃人に見える、価値が一個もない人間になってもいい
- 当たり前の義務を果たしていない自分になってもいい
光と闇、生と死、白と黒、
どんな状態、マイナスからプラスまで全部の幅、どこにいてもいい。
自分が好きなほうを選んで、どこの場所にいてもいいのだと自分に許可を与え、生きられたら最高の人生だと思う。
コメント