梅雨も一休みの曇り空…
しかしやる気が起きません。
何というか重い腰が上らないというか、
ほとんどすべての自分の行動が「しないといけない」「べき」という思考から来ていることに気づいたのです。
以前同じようにすべき思考について書いた記事がありますが
今回はそれとはまた違う切り口で、なぜ「べき」思考で行動しているのか、なぜ苦しいのかについて絞ってみました。
やりたいこと、ウキウキすること、心がリラックスするから、というような明るい動機ではなく、
掃除をするにしても料理をするにしても、何かしら「〇〇すべき」という考えから入っているような気がします。
✔お金を稼ぐべき
「お金がない=悪いこと、恥ずべきこと」
✔働くべき、ちゃんとした仕事に就くべき
「ひきこもり、無職=”悪”」
✔もっとやせなくっちゃ!ダイエットしないと…
「人は容姿端麗であるべき、人から不快と思われるような言動は見せてはいけない」
✔そうじしなくちゃ、片付けないといけない、清潔であるべき
✔料理をしないといけない、働いていないからせめて料理だけはしないとダメ、普通の主婦ならみんなやっている、母ができないのだから自分がやるべき
など多くの思想、思考がすべて「べき」というものに入っているような気がします。
その理由がなぜなのか?考えてみました。
同調圧力
そもそもすべての人が同じような状態であれば比較というものが生まれにくいと思います。
たとえば白髪を染めないといけない、白髪だらけで恥ずかしいわ…という場合
周りほかの人全員が白髪だったら逆に染めるでしょうか?
「あの人もこの人もみんな白髪だし、そのまま放っておくわ…」と思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
また、ワクチンを打つ、打たないなど議論が巻き起こっていますが
ワクチンが多数派になった場合、
- 自分も打たないと居心地が悪い
- 職場で一人だけ打っていないので仲間外れ
- 外圧が強い
など理由は様々ですが同調圧力があることは間違いないでしょう。
自分の中で起こる喜びやうれしさ、そして楽しさなどを無視して、外部圧力を軸とする行動をしているから、そこにずれが生じるのだと思います。
生贄探し:世間体が戒律
そんなときにちょうど中野信子さん、ヤマザキマリさんが書かれた本に関するニュースを読みました。
日本人の戒律に当たるものが「世間体」というのです。
世界各国には宗教とも呼べる戒律がありますが、日本では宗教は薄れつつあるため、世間体というものが生活の中に取り入れられたより強い世間的な基準となっていることが考えられます。
西洋や中東では、長い年月宗教が築いた倫理や理性が人々の中で確固たる軸をなしていますが、宗教の拘束がない日本の場合は“世間体”という戒律がわれわれの生き方を統制しています。
無症状だけど陽性判定が出てしまい、周りへ迷惑をかけることを苦に自死した女性がいるとイタリアの家族に話をしたら「なんだって!? そんなことで自殺をするなんて信じられない!」と絶句していました
引用元:「世間の目が怖い」で統制されている日本社会 ヤマザキマリ
コロナが流行りだした時期、東京から田舎に帰ると玄関に張り紙がしてあったと話題になりました。
そのニュースを見て、近所の人に見つかると報復が怖いからと帰れないという人も数多くいるということでした。
それだけ他人を見ている、悪いことが行われていないかどうか。
マスク警察、自粛警察という言葉にあるように、日本では常に他人を見張っている文化だと思います。
その理由はいじめでも取り上げた原因:
✔日本は災害が多かったゆえに仲間同士、集団として助け合わなければ乗り切ることができなかった
✔そのため、誰か一人でもタダ乗りしている人(フリーライダー)がいれば検知するシステムがはたらいて締め上げるという歴史があった。江戸時代の五人組制度で見張らせたように。
👇詳しくは
フリーライダーを許せない!いじめの始まり 関連記事
日本人特有の他人を詮索する能力。
他の人を気遣う、困っていることを察知する能力に使われればいいのですが、それが悪い方に働いているとしか思えないのです。
まとめ|自分の行動、思考のもとが世間体基準になっていないかチェックする
自分が選んでいる思考、行動が
- 他人から見られる正しいこと
- 世間から何を言われるかわからないからやりたくないけど◯◯をする
- 他人から攻撃されたら嫌だから我慢する
という世間体基準になっていないか注意するのがいいかもしれません。
その正しい常識が自分の意思と通じている、合っているものならばいいかもしれませんが
しなくちゃいけない、すべき思考という言葉、表現の多くは
- 他人から植え付けられた思考
- 他人がいいと思う基準
- 他人に迷惑をかけてはいけない、不快にしてはいけないという基準
それらが基準となって自分の行動、思考パターンになっていることが多いのです。
一度振り返ってみることをおすすめします。
はじめにご紹介した概念はこうとも言いかえられます。
✔お金を稼ぐべき
「お金がない=悪いこと、恥ずべきこと」
実際にはそんなにたくさん月収50万、100万もお金がなくても生きていけるが、稼げば稼ぐほど素晴らしいと思われています。心、体を壊してまで稼ぐお金があっても、今が幸せでなければ意味がないと思います。
✔働くべき、ちゃんとした仕事に就くべき
「ひきこもり、無職=”悪”」
他の人にお金をくれとも言ってもいないし、誰かからお金をもらってもいない。
ひきこもり=悪という考え自体が世間的な考えであり、一人が好きな人もいる
✔もっとやせなくっちゃ!ダイエットしないと…
「人は容姿端麗であるべき、人から不快と思われるような言動は見せてはいけない」
やせようがやせまいがそれは他人に迷惑をかけるものでしょうか?1、2キロ太ったくらいで恥ずかしい、ディスられる、女同士でマウンティングされるのが嫌だ。
やせているほうがいい、というのは誰がどう作った考えでしょうか?
いかに他人、世間体に傾いた、縛られた考え方をしているかがわかってきました。
掃除もやらなくても死なないものです。
家がきれいに見えようが見えまいが、やりたくないときはやらないという選択肢もあってしかるべきです。
こうであるべし、やらなくちゃ、という概念には自分のやりたいことが入っていないことが多いのです。
生贄探しの本にはほかにもいろんなトピックが載っていました。
日本人が一番意地悪い民族であり、自分を犠牲にしてでも得をした他人を陥れることも書かれています。また次回以降記事にしたいと思います!
最後までお読みくださりありがとうございます。
何かをやらなくちゃと思ったときに
それは何が基準、どんな理由でそう思ったのか?
世間体なのか、自分が本心からやりたいと思ったのか
一度胸に聞いてみるといいでしょう
ヒトはいじめをやめられないの本には、
なぜいじめをするのか脳内ホルモンの仕組みが書かれており非常に面白いです。
この本の記事はこちら👇
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