養老孟司さんが書かれた少子化に対する記事を読みました。
少子化がなぜ止まらないのか、子どものいない社会が理想とは?
自分にとっては、とても衝撃的で深く考えさせられる内容でした。
よかったら最後までお付き合いください。
お金にならないことは価値がない世界に生きている
樹齢800年の木を切って、新しい社殿を建てるという事例が紹介されていました。
岡山県の小さな古い神社で、宮司さんが社殿を建て直したいと思いました。その宮司さんが何をしたかというと、境内に生えている樹齢八百年のケヤキを切って売った。その金で社殿を建て直しました。八百年のケヤキを保たせておけば、二千年のケヤキになるかもしれません。大勢の人がそれを眺めて心を癒すことでしょう。でも、それを売ったお金で建てた社殿は、千年はぜったいに保ちません。これがいまの世の中です。
プレジデントオンライン 「子どものいない社会」が理想になっている…養老孟司
お金を優先して自然を破壊してしまう。
金銭的価値がつかないことに対して価値がないと認識されている現在。
社会的・経済的価値のある・なしは、現実と深く関わっています。いまの社会では、自然そのものに価値はありません。観光業では自然を大切にしていると言いますが、それはお金になるからです。お金にならない限り価値がないということは、それ自体には価値がないということです。
プレジデントオンライン 「子どものいない社会」が理想になっている…養老孟司
よって現代はお金になるか、ならないかによって物事の価値がはかれる世の中になっていると養老氏は主張します。
これに紐づけて、少子化というのは、お金になるかならないかわからないものに価値を見出さない社会が招いた結果だと言います。
こういう世界で、子どもにまともに価値が置かれるはずがありません。子どもの先行きなど、誰もわからないからです。子どもにどれだけの元手をかけたらいいかなんて計算できません。さんざんお金をかけても、ドラ息子になるかもしれない。現代社会では、そういう先が読めないものには、利口な人は投資しません。だから、自然と同じように、子どももいなくなるのです。(中略)
子どもそれ自体には価値がない。現実ではないもの、つまり社会的・経済的価値がわからないものに、価値のつけようはないのです。いまの子どもは、早く大人になれと言われています。都市は大人がつくる世界です。都市の中にさっさと入れ。そうすれば、子どもはいなくなりますから。
都会人にとっては、幼児期とは「やむを得ないもの」です。はっきり言えば、必要悪になっています。子どもがいきなり大人になれるわけがない。でも、いきなり大人になってくれたら便利だろう。都会の親は、どこかでそう思っているふしがある。
プレジデントオンライン 「子どものいない社会」が理想になっている…養老孟司
すべてのことを貨幣、お金の価値と結びつけたくはありませんが、お金をどれだけ稼げるか、お金を持っていること=正しいこと それによって自然が消されていっている、しいては子どもまでもがいなくなっていると持論を述べています。
子ども=社会悪?
この記事を読んで思ったのは、
言うことを聞く子ども、従順な子供、
すぐに大人になってほしいということを期待・要求している社会
幼児期=社会悪だという考えが浸透している世の中
を連想させました。
まるで工業製品のようですね。
ブロイラーの鳥のように1分1秒でも早く大人に育ってほしい、すぐに成人になってほしい、そして社会の担い手として働いてほしい…
ある意味正しい部分もあると思います。
しかし本当にそうでしょうか?
私はお金がなくて子どもを持てない、結婚できないという人がとても多いと考えています。むしろそれが第一理由ではないでしょうか。
とくに非正規で働かれている方は、それが原因で結婚できない、夢をあきらめていることも往々にしてあるのです。
日本では基本的に結婚してからでないと子どもを持てないという制度、法律がありますし、フランスのように結婚していてもしなくても子どもを自由に生めるような環境が整っていないのです。
子育てにはお金がかかります。数千万とも言われています。
その点を養老氏は何も突っ込んでいないなと感じました。
子育てにかかるコストの点。
将来何になるかわからないものに価値をおけないので子育てしない、というよりは
(二人目欲しいけど!)
お金がないから子どもを生めない!あきらめている!
という経済的事情により諦めざるを得ないご家庭は山のようにあると思っています。
感想|子育てにはお金が掛かる!
この記事を読んでとても悲しい気持ちになりました。
お金は生きるために必要であり、けして無視して生きることはできない問題です。
しかし何事もバランスのように思います。
お金を崇拝し、儲かれば何をしてもいい!と偏りすぎるのもよくないし、お金を考えずに無駄遣いや、お金を持っている人だけを優遇し、お金がない人に対してさげすむような心を持つこともよくないと思っています。
お金を目指しすぎる結果、悪事、強盗殺人事件、最近でいえばルフィーの事件、電話訪問詐欺なども起きています。
お金を目指しすぎる結果、環境破壊、さきほどの自然を消して、家を建てたほうがよっぽど儲かるという頭になります。800年という歳月よりも、「目の前のお金」を取ったわけです。
私には子供はいませんが、お金があるなしで少子化はとても密接にかかわっているように思います。
時の情勢により、経済が活発に動いている時期、とくに高度経済成長期などは顕著で、子どもをたくさん産む時代、第二次ベビーブームが起き(1971-1974年)、その当時は200万人以上いました。
しかしそれ以降年々減り続け、2021年の出生数は81万人となっています。2015年には100万人だったものが、わずか5年で20万人も出生数が減っています。
先述のとおり、子育てにはお金が掛かります。
そしてこのご時世、不景気、コロナ、戦争のうえに、高騰する電気代やガソリン代、食費にさまざまな物価上昇に拍車がかかり、首が回らない状況が続いています。防衛費による増税、医療費はじめ、高齢者の年金などの社会保障費は増えに増え、日本の財政はますます低迷し、真っ逆さまに落ちていくような状況です。
お金は人生に密接にかかわっていると思いますが、
子どもに価値がない、とはまったく思わないです。
その点だけ私は反対です。
樹齢800年のご神木を切ってしまったという宮司さんの行動はとても残念に思いましたが、それと子どもがお金にならないから価値はない、というのをひっつけるのは強引すぎるかもしれません。
だとしたら、お金を生み出せない人はみんな価値がないという結論に至ります。
やはり経済、金銭面で家族が恵まれているかどうかは、世襲が持っている財力によるものが大きいと私は感じています。
フランスの経済学者ピケティは、「資産を持っている人は裕福になり、労働して富を得ている人はいつまでも裕福になれない」と言っています。
『21世紀の資本』の主張は「資本主義の富の不均衡は放置しておいても解決できずに格差は広がる。格差の解消のために、なんらかの干渉を必要とする」(中略)
「裕福な人 (資産を持っている人) はより裕福になり、労働でしか富を得られない人は相対的にいつまでも裕福になれない」
富を築くために理解しておきたい「r>g」という不等式
裕福な暮らしをしている人は、子どもの数自体が少なく、少ない人数を大切に育てているように感じます。
国が成熟していくほど子どもの数が減っていくとニュースで見たことありますが、だとしたら子供を持とうとしている現役世代で、富裕層よりも貧困層や中流層をもっと手厚く拡充する必要があると思いました。
最後までお読みくださりありがとうございます。
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