今日はとてもショックなことがありました。
今までずっとお世話になってきたヨガの先生がクラスを辞めてしまうのです。私がヨガを始めたのは2010年から。かれこれ10年以上の付き合いになります。
初めてヨガを教えてもらったときの担当の先生でした。その当時はまだヨガのクラスに生徒数も少なく、わずか2人しかいなかったことも…こんなに長く続いたのも先生のお人柄のおかげでしょうし、不思議と先生とは波長が合いました。
ヨガの終わった後、5分10分と短い時間ではありましたがいろんなことを聞いてもらっていました。
自分が転職で会社を変わったり、仕事も多忙になり海外出張に頻繁に行くようになったり、恋バナや、父の介護の話などの個人的な悩みも親身になって聞いてくれました。
10年以上の過ぎた年月が走馬灯のように流れて、今日ヨガをしている最中に涙が出てきてしまいました。
すべてのことに終わりがある
思えば、すべてのことには終わりがあります。
当たり前にいつも存在していると思っていることも実際はそうではないかもしれません。
私は今、最低限の人としか接触を持っていませんが
その少ないうちのさらに大切な人を失ってしまう…
と、ショックに打ちひしがれていました。
しかしすべてのことには終わりがあり、それを大切にしていなかった自分がいたのです。
毎週ヨガに行くことが自分にとっての普通であり、その先生のクラスが終わってしまうなんて思いもよらなかった…
実は気が付いていない心の底ではその時間がとても貴重な自分のよりどころでした。
今、自分の身の回りに存在してくれているものや環境、処遇など、すべてのことが当たり前ではなく有限で終わりがあるものなのです。
自分もいつかは終わりを迎える
人生というのは何が起こるかはわかりません。
突然の事故や災害、病気などで命を失うこともあります。家族や親しい友人が急に亡くなることだってあり得ます。
それ以外にも仕事での退職や引っ越しなど、今回のような別離も生きていれば普通に起こります。
私は変化の少ない生活をしているため、このような少しの変化でも大げさに反応してしまいます。
楽しいことや幸せな時間は過ぎるスピードが相対的にとても早く感じます。
つらいこと、苦しいことは割とゆっくりであってもかならず終わりは来ます。
たとえ会社に新卒から40年以上、定年で勤めあげたとしても、嫌な上司がこれでもかと毎日嫌がらせしてこようとも、至極劣悪な環境にいて時間が永遠に感じることがあろうとも、いつかは終わりがやってくるのです。
始まりがあるものはすべて終わりを迎えるということです
命を授けられこの世に生まれおちたときから、寿命という時限爆弾は進んでいるのです。
ときに日々の生活がマンネリ化し、ずっとこの日々が続いていくと錯覚してしまうこともあるでしょう。
しかし確実に、毎秒毎秒、終わりの時間へと進んでいます。
形あるものいつかは壊れる
諸行無常の響きあり
今目の前にあることに、感謝の意を持つ
だからこそ、
今に集中し、このとき存在している
すべての身の回りの人、もの、あらゆることに目を向けて、
すべてのことが当たり前ではないということ、
そして受けられているすべての恩恵に感謝をしたい
と思いました。
失ってから、初めてありがたさに気がつくのです。
最後にとてもたくさんの思い出をありがとうございましたと言いたいです。
そして、先生の今後のご多幸をお祈りしています。いろんなことを教わったし、励まされ、癒してもらいました。もう会えなくなることに胸の痛みを感じます。
寂しいし、悲しい。私が去るときに、こんなふうに思ってもらえる人はいるだろうか。
私も死ぬまでに今までもらった恩恵を還元できるように、与えられるようになりたいし、自分の生まれてきた意味を見出したい。
自分の役目を終えるまでは死ねない
そう感じました。
別れていく人、違う道を進んでいく人は、
私に伝える、何かを気づかせるための役目を終えたのかなとそう感じます。
そして、逆に嫌な人はなかなか離れてくれない。=怨憎会苦
会社や近所、知り合いでも嫌なアノヒトは頭から離れないし、そういう人は繰り返し現れて自分の鏡となる。
その真実、自分が見なくてはならないことに気づくまでは、何度も同じことが起きて離れてくれないのでしょうね。
雑記になりましたが最後までお読みいただきありがとうございます。
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