感情について以下の記事の続きです。
動画はこちら
16:43あたりからをまとめています。
アウトプットを適材適所に!
自分で感情を認めたうえで、
適切な場所でその感情をアウトプットするのが必要
ただその時にそのアウトプットする場所を間違えてしまうと、大変なことになる
とYuuさんはおっしゃっています。
例えばYouTubeでのコメントを書き込むときに
何回もそうやって自分を見つめなおすことで新たなもの発見できる、
正しいとか正しくないとか関係なくどれだけ向きあえるかということが大事。
YouTubeのコメント欄に(見つめ直した感情を)アウトプットするのは適している場所とも言えますが
もし(出す場所を)間違えて
突然自分の友達もしくは自分の人生のキーパーソンとなっている親、お母さんなどに
ワーって話してしまうと実は破壊的な行動になるともYuuさんは言います。

つまりは身近な他人をはけ口にしてしまうと、とんでもないことが起きてしまうということです。
“適材適所という言葉もありますけど
内面と向き合ったものをどういう形でアウトプットさせて
それを社会的なつながりのきっかけとしてやっていくかというのも
場所と人をちゃんと選ばないと大変なことになるので…
ネガティブな感情を目的もなく、
ほったらかしにしてしまうということも破壊的な行動なんですね”
そのうえでネガティブな感情を発散させないといけないようです。
ネガティブなものを貯め過ぎている傾向にある、
リアルタイムに発散していくことができたら、そんな破壊的なものにはならないが、周囲からの抑えつけているものから一刻も早く脱したいという理由で、はけ口のようにしてしまうのがそもそも破壊的な行為と言います。
ではどうしたらいいのでしょうか。
建設的な感情との向き合い方

一方で建設的な感情との向き合い方は
落ち着いて自分を内観して
本当はどうだったんだろうと(感情を)ひとつずつ丁寧に掘り起こす作業
と言います。
“今この瞬間自分はどっちの感情の使い方をやってるんだろうと少し意識してみるのがいいかもしれません。
それができるようになると自分の感情を信頼することができるんですよ
自分の感情を信頼すると何が起きるかというと、自分の感情に自然と導かれるようになります”
私自身は感情を感じているときにどちらの使い方(=つまりは破壊的か、建設的か)をしているか意識するということを今まで経験したことがありませんでした。ただ、感情が出てきたままに怒ったり、泣いたり、苦しんだり、のどが詰まるように言葉が出てこなくなったり、素敵な景色を見ても重だるいほど心が無感動になったり…感情に操られるがままに自分が行動していました。
ではその感情に導かれるというのはどういうことでしょうか。
感情に導かれること=ドキドキワクワク

『本当の心の底から出る真のドキドキワクワクに導かれて
自分の歩む人生の方向がどっちなのかというのが明確にわかるようになってくる』Yuuさんは言います。
これがホントのワクワクした人生を生きるということで、ドキドキワクワクの気持ちというのは
根源に愛💓があります。
感情の発育が妨げられると
嘘付いて蓋したり隠れたりというように愛が育たないのです。
ドキドキワクワクが自分の内側からガーッ!と源泉のようにバーッ!と湧いてくるようになると、外部(他人)から

褒められたい!
認められたい!
愛されたい!
というその欲求がなくなります。
それは別にいらないもんという、あまのじゃくではなく
認められたいから頑張るとか愛されたいから自分がこうするということ(渇望)がきっかけで行動しなくなるということです。
より自分らしさを表現するのに抵抗がなくなり、他人に対して不合理なものを求めていることを知ると一気にいろんなものに対する関係性が良好になります。
抵抗も摩擦もなく
自然体で必要なときに必要な人と必要な時間だけ繋がることが
何の罪悪感もなくシンプルにできるようになる
それができて初めて、自分が本当に心の底から魂から望んでいる、欲しているものが何だろうかということに気付くようになります。
偽りの欲求=認めてほしい、心の傷を穴埋めしたい
そうすると、今まで建設的だと思ってきた生き方、
要するにこういうもの(感情の仕組み)に気付く前に
自分の中から湧き出た欲求とか目標とかが偽りのものをだったんじゃないかというふうに俯瞰して見ることができます。
何かを学んでいるとき

初級が終わったから次は中級!
中級終わったから今度は上級だ
というようにレベルアップをして知識を取り入れていく過程の中にいるのだとすれば

本当は何が欲しくてそれをやり始めようとしたんだっけ?
という過去に一度戻ってもらって、一旦その自分がスタートさせようとしたときの自分の感情を認めるんです。
たとえば心理カウンセラーとして学び始めたときに

アレ?なぜ私は学ぼうとしてたんだっけ?
自分の傷を埋めたくてそういう知識をネット上で拾い集めているうちに
もっと知りたい、もっと知りたいと
自分の傷を埋めるために始めたものなのかもしれない…
知識があれば必ず人のお役には立てるので社会貢献にはなりますが
もともとの理由は
傷を埋めたい、穴埋めしたい、要は安心したい
というところからスタートしている。


そうか、そういう感情で自分は始めたんだな
とまずそこ認めることです
その上で、今この瞬間から

学びに向かう姿勢はどうなんだろうか
とその感情をチェンジするんですよ
その穴埋めしているというものは認めたからもう過去のことなのでそれでいいんです
では今これから勉強するものに対してこれをもっと極めるということは

自分にとって、社会にとってどうなんだろう?
そこから愛を生み出せるか
ということを考えるのです
恐れに蓋をしたり穴埋めしたりするということは愛ではないので
そこから愛を発生させるための自分の意識の向け方は何なんだろうか?というのを問うんですよ
そうするとちゃんといいとした方向に感情が向かっていきます。(引用終わり)
とYuuさんはおっしゃっています。
まとめ|感情を見つめる
✔感情を深堀りして、それを親しい他人に吐き出さないということ。
✔適材適所で感情をアウトプットすることが大切(そのために内側を見つめて一つ一つの感情に向き合う)
✔本当の感情、ドキドキワクワクの根源は愛から。
✔本当のドキドキワクワクの感情に導かれていくと、自分の人生の道、どこに行けばいいのかわかっていく
✔認めてほしい、傷を埋めたい、渇望から行動をすることは偽りの理由。どうしてそれを始めたのか、理由を考えてみて、穴埋めのための渇望であればその感情を認め、さらにその時点から自分は愛を発生させるために何ができるか?と自分に問いかけること
自分の感情について、ここまで深く考えたことはなかったので非常にためになりました。
Yuuさんのおっしゃるような
自然体で必要なときに必要な人と必要な時間だけ繋がることが
何の罪悪感もなくシンプルにできるようになる
という状態にいくことが理想的ですがはたしてそうなれるか…?
感情が出てくるたびにそれをこまめに捕まえてチェックしたいと思います。
まずはなぜ自分がそういう感情になるのかその前提となる思考や信念を捕まえることが必要になってくると思います。野放しになっていた感情を今までは抑えつけようとしていましたがその前に、なぜ自分がそういうふうに感じてしまうのかという根源、パターンを探していきたいです。
そして最終的には愛を感じる意識の向け方にシフトしていきたいです。
✔我慢をしすぎると感情が出なくなる←この時点で会社を辞めていればよかったです
人生には逃げることも必要 我慢しすぎでその後の人生を暗く過ごしています
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