罪悪感いっぱいの心の中… 誰もひきこもりになりたい人はいない

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ひきこもり

ひきこもりをしている方々の心の中は、

孤独感と罪悪感

に占められていると著者の桝田氏はいいます。

誰一人としてひきこもりになりたくて生まれてきた人はいません

ひきこもる人
ひきこもる人

あこがれ、理想、
こんな人生を送りたかった
定職を持ち、家族を持つ
人並みの生活を送ること
バイトでもいいから外に出て
ちゃんとお金を稼ぐべきだ

ひきこもりをしている人は周りの人に言われなくてもそれくらいはわかっています。

人並みの生活を送りたくても送れない。

ひきこもっていることに対して罪悪感を感じています。

ひきこもりが長くなればなるほどますます外に出られないという悪循環になります。

セルフイメージ 周りの目が気になる

セルフイメージが高い人は他人からどう思われても気にしません。

逆に低い人は、自分に芯がなく、ビクビクし、他人の目を気にしながら生活をします。

無職の中高年が外出することに対して、他人の目線が気になり、ますます外出がしにくくなるでしょう。

私なども同じで、玄関を少しだけ開けて、周囲に人がいないかどうかを見て外出します。

家のご近所は高齢者のお宅が多く、目の前のお宅は一日中外で庭作業をしていたり、井戸端会議をしている高齢女性が多いため、何か陰口を言われているかもしれないと思ってしまうのです。

ご近所
ご近所

あの人何やってるかわからない

いつも家にいるよね

とひきこもっていることを悪く言われていると感じてしまうのです。

孤独感

私は割と孤独感は感じないのですが

それは母がいてくれているからだと思います。

母が亡くなってしまったら、本当にこの世に一人になるのだなとそう感じます。

よく言われている8050問題。

それに至る前に、仕事を何としてでも探して

独り立ちせねばと思っています。

欠点に目が行く

こちらの記事に書かれている欠点だけに目が行くという部分からの引用です。

この図形、どちらに目が行きますか?

出所:『中高年がひきこもる理由―臨床から生まれた回復へのプロセス―』より

ほとんどの方が欠けているほうを選ばれたと思います。

人類の進化の過程で、欠点があると生き残れないことがあり、
それを補い、修正する必要があったと考えられます。

罪悪感 生きながら死んでいる気持ち

人間はもともと欠点に目が行くようにできており、ひきこもりは世間から孤立、隔離され、自分を肯定できないまま、罪悪感にさいなまれながら生きてます。

すると欠点以外に目がいかなくなり、ダメな自分を責めるようになります。

欠点ばかりでいいところがない、自己肯定感の喪失。

私

生きながら死んでいるのと同じような気持ち

その結果、セルフネグレクトが始まることもあります。

セルフネグレクトとは

服装や食事もかまわなくなり、お風呂も入らなくなり、病気になっても病院にもいかない状態です。

自尊心を失い、生きる意欲も欲求も持てなくなり

自分が生きていてはいいと思えない
こんな自分は社会にお世話になる価値なし

よって社会に助けを求めるという発想すら浮かばない

下矢印

最悪、餓死や自死といったことも考えられます。

ひきこもりは犯罪者ではない

ひきこもりによる殺人事件は0.2%

自己肯定感を持てずに、就活でのつまづき、職場での解雇、いじめなどの問題、親の介護などの退職、再就職先での屈辱などがきっかけとなり中高年のひきこもりが多くなっています。

ひきこもるきっかけは運が悪かっただけであり、
善良で、心優しく、人付き合いも人並みにできる、ごく普通の人たちである

と筆者は言ってます。

ところが、川崎市でスクールバスを待っていた小学生が刃物を持った男に切りつけられるという事件が起きました。

https://www.asahi.com/articles/ASM5X2S2BM5XUTIL004.html

このわずか、4日後に農水省のエリート官僚だった次官が、44歳のひきこもりの息子を殺傷するという事件が起きました。

この事件から、

誤解

ひきこもり=危ない、人を殺しかねない
「犯罪予備軍」

と思われた方も多いかと思います。

しかしこれは明らかな誤解です。

ひきこもりの殺人件数は

全体の殺人事件のわずか0.2%

しかないと言われています。

エリート次官の家には、家庭内暴力があったといわれていますが
筑波大学医学医療系社会精神保健学の斎藤環教授が以下のように語っています。

「私が今回のことで強調したいのは、家庭内暴力の延長線上に、通り魔的な暴力があるわけではない、ということです。この2つは方向性がまったく違う。現在のひきこもり人口は、100万人規模に達しているという内閣府の統計があります。しかし、それだけ当事者がいながら、明らかにひきこもりの人が関わったという犯罪は数件しかない。とくに無差別殺人のような重大犯罪は今まで見たことがありません

家庭内暴力と怒り

残念ながら、ひきこもりの人の中で、家庭内暴力が3,4割あります。

暴力を正当化するつもりはけしてありませんが、筆者は「ひきこもりの人は暴力を家族以外にはふるわない」と言います。

この中でも「怒り」が家族に向かっていると指摘しています。

怒りは、相手との距離が近ければ近いほど強く感じるもので、友人や恋人、配偶者、親、兄弟、子どもなど近しい関係ほど怒りを感じるそうです。

また、怒りは第一感情ではないと別の記事で述べましたが

怒りは悲しみです。

こうあってほしいのに、そうならない、という悲しみが第一感情。

なぜ怒りがわくか?

それは愛情があるからだといいます。

愛情があるからこそ愛する人に伝わっていないことに対して怒りを覚える

下矢印

よって、暴力をふるう

というのが家庭内暴力の仕組みだそうです。

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まとめ

私自身、暴力には反対ですし、育ててくれた親や家族に対してけして許される行為ではありません。

ひきこもりの人の3,4割に家庭内暴力があると聞いて驚きました。

しかし、その根底にはわかってもらいたいという気持ちが隠れているのだと思います。

ひきこもりになるきっかけは一瞬です。

筆者は運が悪いと書いていましたが、

誰もがなりうる現象であり、けして他人事ではありません。

これからコロナの影響で経済が減速し、退職や離職に追い込まれることがもっと増えると考えられますし、日本経済の悪化や年齢で判断される社会など、さらに厳しい就職状況であることは間違いないでしょう。

私も働いているときは、働いていない人の気持ちもよくわからずに、

なぜ働かないのだろう?と怠惰、怠けぐせくらいに思っていたこともありました。

もちろん、ダラダラと怠けて生活している人もいるとは思いますが、いざ自分がこちらのサイドに来てわかることもたくさんあります。

私自身も無職であることが恥ずかしいですし、社会にお世話になる価値はないと感じていることもあります。

まさに罪悪感まみれの心の中…

働かない、動かないのではなくて

動けないこともあるのです。

筆者の方は本当にひきこもりの人の心の内がわかっているのだなと感じました。

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