自分の幸せを追い求めてはいけないことなのだろうか。
自分自身の願望や欲望を欲することは自己中なのだろうか。
自分だけが幸せになりたいと思うことはいけないのだろうか。
えてして他人を喜ばせることが巡り巡って、のちに自分に返ってくることになる
それが「情けは人のためならず」ということわざのとおり。
今日はお風呂掃除をしながら、こんなYouTubeを聞いていました。
心理カウンセラーの近藤純さんが動画内で
- 潜在意識を使って引き寄せを叶えたい人にとって
- 「潜在意識の本当の目的」
について語っています。
つまり、潜在意識の目的から外れてしまっていたら、自分の望みは叶いにくいということになります。
「だから自分の望みは叶わないのだ!」となんだか悲しくなる部分もありました。
よかったら最後までお付き合いください。
潜在意識の本当の目的とは
この動画の中で近藤さんは、潜在意識の目的は全体の幸せとおっしゃっています。
全体の幸せというのは
住んでいる地域、もっと広く言えば、国、人類、地球、宇宙…
=自分以外のみんな
ということになります。
自分以外のすべての人の幸せを目的としているというのです。
人間は昔から社会性を重視する生き物であり、
人類の歴史を振り返っても、全体の幸せを願わない者は生き延びてこられなかった過去があります。
自分だけが幸せになれればいい!という自分勝手な人は、周りと協力したり自ら与えることをしないため、生き残ってこられなかったのです。
これは、中野信子さんの「なぜ人はいじめをするのか?」の記事とかぶる部分がありますのでよかったらこちらの記事もご覧になってください。(集団の決まりを守らない、逸脱したフリーライダーを許さない)
そしてこの潜在意識はいろんな分野で同じことを違う言葉で表現されています。
- スピリチュアル➡ワンネス
- アドラー心理学➡共同体感覚
- ユング心理学➡集合的無意識
これらの分野では自分たちの幸せを突き進めていくと、最終的には全体の幸せに行きつき、全体の幸せが存在するからこそ、自分の幸せが成立するということを主張しています。
分離と調和
などが例として挙げられていました。
これらの願望は全体の幸せから分離しているため、叶いにくいと言います。
なぜでしょうか?
それはお金持ちになって認められたい
=他人との比較によって自分の優位性を示したいという気持ちを秘めているからです。
全体の幸せから分離して自分だけの幸せになっている
もし自分の願いを叶えたいならば、
全体の幸せを絡めることが必要になります。
お金持ちになりたいということであれば
自分の能力を生かして、社会に貢献する、
社会をよくすることによって自分もまたお金を得られる
という循環型にしていければ自分も豊かになっていくという調和のとれた願望になります。
全体の幸福にならない自分は永遠に幸せにはなれない?
この理論で行くと…私は大きなことに気づきました。
自分の幸せを追求して
まわりの人間、他者を幸せにしない限り
永遠に自分は幸せにはなれないこと
誰かの役に立たないと、自分の幸せはないってこと?
うーん…😕ニワトリ🐓が先か卵🥚が先か理論になりそうです…
本来は、自分の幸せを追求した先に、他者の幸せも入るといいですよね。
自分が幸せではないとなると、じゃあ何のために生まれてきたの?と疑問に思えてしまい、なんだか自分にとっては消化不良なお話に聞こえました。
とくに家にひきこもって他者との交流がない、ひきこもりの人には未来がないということを突き付けられたような気がします。
自分だけの幸せを追求したとしても、全体の幸せと一致しなければ叶わないということですね。
自己犠牲の精神を求められるような気がして重くなりました。
誰かの願いが叶うころ
宇多田ヒカルの歌で
『誰かの願いが叶うころ』という曲があります。
誰かの願いが叶うころ
あの子が泣いてるよ
みんなの願いは同時には叶わない
宇多田ヒカル 誰かの願いが叶うころ
この歌で印象的な部分です。
みんなの願いは同時には叶わない
自分が自分の幸せをいくら望んだとしても、
それを神や潜在意識が全体の幸せではないと判断したのならば叶わないことになりますよね。
じゃあ全体っていったい何だろう?という疑問がわいてきました。
全体、人類みんなの幸せって何?
結局は多数決になってしまうの?
人数が少ない、個人の意見が尊重されない世界になってしまうのでしょうか。
旭川いじめ殺人事件のように、結局は得をする人数が多い(=全体の幸せが多い)ほど個人の幸せは無視されてしまうのでしょうか。↓今は炎上してしまったDaiGoさんの意見ですが…😓
そのあたりはまた別テーマになってしまうので別の記事を設けたいと思います。
まとめ|全体の幸福=神の領域
- 自分の願いを叶えたいのであれば、全体の幸福を考えて行動すること
それがないと個人の幸せはなかなか叶いにくい
全体の幸福が個人の幸福よりも優先されるというのはなんとなく感覚でわかってはいましたし、何といっても民主主義というのは多数決で決まってしまうものです。
- 自分にとって悪いこと、嫌なこと、どうしようもなく受け入れられないことでも、みんな(全体)にとってはいいことかもしれない
- 自分にとって正しいこと、よいとされること、こうでありたいと願うことでも、みんな(全体)にとって都合が悪いことかもしれない
全員が全体の幸せを考えて行動していれば
貧富の差やいじめが減ったり、格差社会が是正されて
もっといい社会になっているかもしれないし
実はもっと悪い社会になっているかもしれない。
それも神の采配なのかもしれないですが…
「全体の幸せ」って何だろう?
誰から見ても100%の幸福なんてありえないと思うのですが。(やはり神の領域)
調べていたら「宮沢賢治」「ベンサムの最大多数の最大幸福」という面白い考え方が出てきたのでまた別記事にしたいと思います。
最後までお読みくださりありがとうございます。
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