「ものごとにはプラスとマイナスは同じだけの量がある」ということは、一般的に知られていますし、私も頭ではわかったつもりでいました。
また、現象や出来事において、すべてには裏側があり、光と陰、陰と陽、試練と支援などが存在します。さらに、同じ出来事でも、100人いれば100通りの解釈ができます。
これまでに多くの記事を書いてきましたが、自分自身については、えらそうなことを言っている割に、自分の身に入っていなかったと感じることがあります。
つまり、あらゆる事象や出来事にはプラスとマイナスがあることは頭ではわかっているものの、
本心では「マイナスだけは欲しくない」と思っている自分に気づきました。マイナスな出来事、側面に拒否感を持ち、必死に受け入れようとしていませんでした。
プラスとマイナスを両方受け入れることができたら最高、とは思ってはいるけれどもできない
という状態がずっと続いていたのです。
だから苦しい。
許せない。
くそな自分を許せないのです。
失敗も許せる自分になりたい
そんなときに気づきがありました。じつは自分が苦しい状態、望む状態ではないときに自分が持っている概念がわかりました。
スマホを家に忘れた
先日スマホを忘れて出かけてしまうということがありました。
今の時代、スマホがないと何もできないと言っても過言ではありません。
今までの自分だったら、ものすごく責めていたと思います。なぜ、こんなに忘れものがひどいのだろう、2カ月に1度くらいはスマホを忘れます。
1度も忘れずに行きたいのに、そもそもそれは無理なことです。
スマホを忘れずに外出することは可能だと思いますが、意識をそれだけに集中させねばならず、とても疲れます。むしろほかのことを忘れてしまうかもしれません。
時間に遅れる
友人と会う予定で、家に着くまで1時間かかりました。本来であれば40分くらいで付く予定でしたが、途中工事を何か所もやっていて時間ギリギリになってしまいました。
友人はもちろん怒ってもいなかったし「遠くからきてくれてありがとう」とねぎらいの言葉をかけてくれましたが、自分は時間を守らなくてはならない、なんとしても死守しなければならないという概念が強く働いていることがわかりました。=遅れることを許さない
以上はありふれた日常の例ですが、これらのことは自分に何を教えてくれているのかを考えてみたら…
失敗を許さない概念が自分をきつく縛っているのです。
冒頭で申し上げた通り、ものごとにはすべてプラスとマイナスが同量だけ含有されています。
自分はうまくいく結果だけが欲しい、すべてをパーフェクトにこなしたい、
そして失敗が起きることを許せないという概念があることに気づきました。
だから苦しいのです。
私は忘れものがひどいので、なおさら注意しなくてはならないと自分に言い聞かせています。
自分を律している人ほど、この考え方は強いと思います。
とくに日本人は、時間にルーズなことは許されないという基準があります。信用を失うこともあるため、時間を守ることはとても大切だとされています。
しかし、やるべきことをやっていて遅れてしまった場合、それは不可抗力の場合があります。
起きてしまった出来事を100%受け入れられるようになりたい
人生には生きていればいいことも悪いことも起こります。
忘れものをすること、時間に遅れること、嫌な人にバッタリ出会ってしまう、ちょうどタイミングが悪かったことなど山のように自分の思い通りに行かないことが起こります。
しかしそれは自分の概念上で、間違ってはいけない、失敗してはいけないと縛り付けているからだとわかりました。
何事もうまくいかせないといけないという強い強迫観念。
だから失敗したときにがっかりします。うまくいっていない自分を責めます。
でなければならない
という思い、考え、思い込み、自分のルールが強ければ強いほど、逆に苦しい思いをするのではないかということに気づきました。
もちろん自分が目指したいものがある方はそれに向かって日々邁進されているとは思いますが、それでもやったことに対しての結果が思い通りになるとは限りません。金メダルのアスリートもオリンピックで優勝できるかどうかは紙一重の差だと言われています。
そうでなければならない、とジャッジすると人も自分も苦しめる結果になるのではないかと感じました。
いつも母のことで、怒ったり悲しんだり、イライラしたり、いろんな感情に振り回されていますが、「こうでないといけない!」という基準が自分にあるからで、その基準から少しでも外れてしまうと、怒りに変わるわけです。
なぜこれをやったの?やらなかったの?
なぜ気づかないの?なぜできないの?
どうしてあなたはいつもこうなの?
何かをやらかした母に怒りまくりますが、同時に自分の失敗に対してもきつく首を絞めます。
何かをやらかした時には、私は母親に怒りまくってしまいますが、同時に自分自身に対しても厳しく自分を責めることがあります。
いつも、自分に対してもう一人の鬼が見張っているような状態で、うまくいったときはいいのですが、失敗したときには「それ来たものだ」と責め立てる鬼軍曹のように厳しい自己評価をしてしまいます。YOKOさんも同じことをおっしゃっていました↓
このような執着に似た考え方が、自分自身を深く苦しめるのではないかと気づきました。
まとめ|正しくあらねばならないという思いこみ
何が起きてもいい、大丈夫と思っている人と
私のように絶対にこうでないとならない!と思っている人の差は
正しさの許容範囲の大きさが異なるのだと思います。
自分にとっての間違い・あってはならないこと
VS
正しいやるべきことや理想的な状態
という価値観は人により違っています。
たとえば
何分遅刻までなら許せますか?
という問いに対しても、それぞれが異なる答えや価値観を持っています。
- 1分でもダメ
- 5分10分までならOK
- 30分までなら大丈夫
- 1時間でもOK
- 連絡くれたらいつまででも待つ
それぞれ違う答え、価値観があります。
誰だってみんな思い込みがありますし、自分のことを正しいと信じています。
この衝突が、国同士であれば戦争になり、他人同士ならばけんか、言い争い、そして自分の中では自分責めとなって現れます。
すべての悪いことが起きてもいいんだと思える心を持ちたいです。
そしてそれを受け流す力、スルー力を身に着けたいです。
最後までお読みくださりありがとうございます。
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