最近しのざきみどりさんの動画を頻繁に見ています。
つらい現状をどうしたらよいか、という自分の悩みの解決法を調べていくと、しのざきさんに行きつきました。
他人は自分であり、ワンネス、他人は鏡であるという教えなどを通して、自分自身が持っている凝り固まった考えや思い込みの癖、思考の偏りに気付かせてくれるので、とても役立っています。
「他人を許せない」という視聴者さんからのコメントが気づきを与えてくれました。
よかったら最後までお付き合いください。
ダラダラする夫を許せないのは

ダラダラする夫を許せないのは…
自分が自分にダラダラするのを許せていないからですよね!
YouTube しのざきみどりさん 「他人はいない 変えようとしても無理な理由」
みどりさんはその通り!と答えます。

自分はこんなに頑張ってるのに!
なんであんたは頑張らないわけ⁈
という思いを自分が抱えているからです。
ちまたに
- やりたいことをやったら?
- 好きなように生きたら?
- 頑張らなくていいんだよ
というメッセージが増えているのは

という「自分が我慢している」概念を持っているがゆえに
好きなことを自由にやっている人を見るとイライラする。

なんで我慢しないわけ?
私だけ朝早く起きて8時間仕事して、食事作って家事やって子供の世話を見て
あんた何やってんの?
自分が許可していることは他人にも許可ができる
=まあ、いいんじゃない?と許せる
自分が許可できないことは他人にも許可できない
=私が我慢しているのに、なぜあなたはそんなことをするの!
この回答に関しては

夫がダラダラしたら
➔自分もダラダラする~と許したらいい
しかしそれだと
家の中が散らかってしまって誰も片付けないんです!
という人がいる、それに対しては
➔それが嫌だから、お皿を洗ったり、ちゃんとしたご飯を作る
=やりたくてやっているのだと自覚をする
旦那さんは家事をやりたいという気持ちでないのならやらないので
じゃあ自分がやるかとなればOK、あとでダラダラしようと切り替える。
自分の思い込み|すべき思考 マイルール

口で言わないとわからないのでは?
という視聴者さんからの突っ込みに対して
そういう白黒つけたいという思い込みがあるのでは?
とみどりさんは返します。
世の中には言わなくてわからないことをグレーにしてうやむやにしたい人もいる。
白黒つけたい人は、口で言ってはっきりさせたいというルールがあり、ルールを破っている人をみると、

その行動はダメでしょ!
私許せません!
かたくなに自分の思い込みを手放せない。
今まで信じてきた思い込みをパッと手放すのは怖くてできない。
ぎゅーっと凝り固まった世界で生きることがコンフォートゾーンになってしまっているため、リハビリのようにゆっくりゆっくり開く練習をしていく。
我慢が諸悪の根源

我慢のイメージは固くて重い、ぎゅーっとがちがちに握りしめている状態
我慢をし続けていると、まわりの人に対しても我慢のエネルギーが伝染して、我慢を強要するようになる
➔開いていいんだ!好きなことやっていいんだと開いていく
嫌な行いをしている人=グググっと怒りを沸かせる概念を気づかせてくれる存在
=こうでなければならないルールを違反している人
そしてそんな人に対して、
いいね!いいよそれで、そしてそんな私もそれでいい!と許可をすると
➔思い込みが溶ける、ブロックが溶ける、制限が外れる
この世界はどうあってもいい
=どのような状態であっても存在してもいい=全肯定
イラっと来たらその対象の人にイラっときても意味がない。
そのときに、自分に問うこと

あれ?私あの人の言動になぜイラっとしたんだろう?
例)なぜ無視するあの人にイラっときたんだ?
自分の思っている概念=
言いたいことを言わずに無視をすることが悪いことだと思っているんだ…!
別にそういう人がいてもいいよね、自分自身もそうあってもいいかと許可をする
まとめ|嫌なことから自分の思い込みに気づく
しのざきみどりさんに出会ってから、自分の考え方が極端に偏っていたことに気づきました。
苦しいときに、自分が苦しむような物の見方をしています。
嫌なことをする他人を許していないのではなく、自分を許していないから苦しくなるのです。
その思い込み、でなければならない信念、我慢、制限などを徐々に、ゆっくりゆっくり手放していきたいです。

別件ですが、今日は近所のご老人が集まって井戸端会議をしている現場にちょうど遭遇してしまいましたが、そのときにモヤっと嫌な気分になりました。なんでいつもそのタイミングで会ってしまうんだろうと運が悪いなと思ったり、しばらく嫌な思いにとらわれていました。
それはなぜだろうと問いかけたわけです。
すると、あんなコソコソ話しているのだから絶対悪いことを言っているに違いない、
=人の悪口を言ってはいけないという概念が出てきました。

まあ言いたいよね、言いたくもなるよね、私も人の悪口言いたいよ
とその人の行為を許すこと…そして自分も悪口言ってもいいと思うこと。
その高齢のご婦人はいつも私を無視をします(くわしくは下の記事)。
会うたびに私も嫌な気持ちになります。
でも、人を無視していいんだ、だったら私も無視しよ、と思えてきます。
苦しいのはどんな人にも挨拶をしなくてはならないという思い込みがあるからです。
思い込みというのは人それぞれ、千差万別です。
おそらくなのですが、きちんとすればするほど、べきが出てきてしまうような気がします。
几帳面だったり、時間に正確、そして何でも真面目に取り組むような人はルールが破れません。
そのルールを壊すのはとても怖いことです。
自分を守ってきたかのようなルール。したがってさえいれば人から責められずに済む。
しかしそれを壊していくことが、もっと柔軟に生きていく道しるべなのかもしれません。
最後までお読みくださりありがとうございます。
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