職場でいじめの経緯は前の記事でも述べました。
仕事を辞めた後、3年くらいは嫌な上司が夢にも出てきてうなされていましたし
ずっといじめてきた彼女たちを忘れられずにいました。
自分を死ぬほど苦しめた人々が、
全員報いを受けて不幸になればいいのに…
因果応報で、自分がやったことはすべて自分に返ってくるといいます。
しかし、彼女たちは今日ものうのうと笑って私腹を肥やしているのです。
それに私にしたひどい仕打ちや、言った内容すら覚えていないと思うのです。
私を社会から抹殺した人たちをどうしても許すことができませんでした。
そして今もまだ許せていません。
よく世間的に言われることは、
人を許したほうが自分も楽になるし
自分が幸せになることが最大の復讐
だとも。
本当にそうでしょうか。
我慢して抑制していた感情
退職する当日
私は、辞める当日にお世話になった事務所や他の拠点にお菓子詰め合わせを数個、男性陣・女性陣にも個別でお菓子など用意しました。
逆に当日、私には何もなしでした。
もらうことを期待していたわけではありませんが、さすがに5年勤務してきた会社。
一言くらいねぎらいの言葉があっても…と、あまりにもがっかりしたことを覚えています。
今まで何度も仕事を変わってきましたが、最終日では友好的な職場ではお花をいただいたり、何かしら食事に行ったりしていたものですから、私は頭の中で誤解していました。
特に、いじめてきた彼女らには何もあげなければよかったとひどく後悔しました。
当時の自分の気持ちを調べてみると下記のように書いてありました。
仕事を辞める際には、
当時の日記より
「何か失礼があってはならない」という固定観念に襲われてしまっていて
最後まで気を付けて、年長者やお局様軍団には嫌われないように…
最後くらいは…いい人で、幕を閉じたい、締めくくりたい、
お互い、恨みっこなしで…くらいに願っていた。
これは、今思うと嫌われたくない恐れからきているのだと思います。
人から悪く言われたくない
最後くらいはイイ人で終わりたい
そして許して次に行かなくては
と焦っていました。
世間一般で言われていた前述の言葉。
その考えに縛られていましたし、それが正しいことと信じていました。
たしかに正論ではありますが、そのときの自分にとっての適切な対処法ではありませんでした。
ですので恨みっこなしという体のいい言葉で、自分の本心では「許せていないのに許す」とがんじがらめに自分の感情を抑えつけてコントロールしようとしていたのです。とても苦しかったです。
友人に相談
無理やりにでもよい解釈ができるよう、自分を納得させようとしていました。
友人に相談をしてみたところ
何もなかったということは、
次へ進みなさいという意味の、目に見えないメッセージだよ。
もし、何かもらっていたとしたら、
それを見るたびにストレスがたまるだろうし、もらわないほうが
新しい人生に旅立てると思う。
たしかに後腐れなく、仕事をやめることができてよかったのかもしれませんね。
世界中の人が敵になっても自分を大切にできるか
ネイティブアメリカンの長老の詩「招待」
またほかの友人からはこんなメッセージが届きました。
縁が切れただけでもHappy!だよ。
そんな人たちからもらったもの、お菓子なんか口にいれずに
捨てちゃうかもよ。
ネイティブアメリカンの長老の詩
「招待」
見てみて。
その当時は全く知りませんでしたが、今読み返してみてもハッとさせられます。
ネイティブアメリカンの長老の詩
「招待」The invitation
あなたが生活のために何をしているかは、どうでもいいことです。
私はあなたが何に憧れ、どんな夢に挑戦するのかを知りたいと思います。
あなたが何歳かということも関係のないことです。
あなたが愛や夢や冒険のためにどれだけ自分を賭けることができるか知りたいのです。
あなたがどの星座の生まれかということもどうでもいいことです。
あなたが本当に深い悲しみを知っているか、人生の裏切りにさらされたことがあるか、それによって傷つくのが怖いばかりに心を閉ざしてしまっていないかを知りたいのです。
あなたが自分のものであれ、人のものであれ、痛みを無視したり、簡単に片づけたりせずに、それを自分のものとして受け止めているかどうかを知りたいのです。
また、喜びの時は、それが私のものであれ、あなたのものであれ、心から喜び、夢中になって踊り、恍惚感に全身をゆだねることができるかを知りたいのです。
気をつけろとか、現実的になれとか、大したことはないさ、などと言わずに。
私はあなたの話すことが本当かどうかには関心がありません。
私はあなたが自分自身に正直であるためには、他人を失望させることでさえ敢えてすることができるかどうかを知りたいのです。
たとえ裏切りだと責められても、自分自身の魂を裏切るよりはその非難に耐える方を選ぶことができるかどうかを。
たとえ不実だと言われても、そんな時にあなたがどうするかによって、あなたという人が信頼に値するかどうかを知りたいのです。
私はあなたが本当の美が分かるかを知りたいのです。
それが見た目に美しく見えない時でも、毎日そこから本当に美しいものを人生に汲み上げることができるかどうかを。
私はあなたがたとえ失敗しても、それを受け止めて共に生きることができるかどうか、それでも湖の縁に立ち、銀色に輝く満月に向かってイエスと叫ぶことができるかどうかを知りたいのです。
あなたがどこに住んでいるか、どれだけお金があるかはどうでもいいことです。
それよりも、あなたが悲しみと絶望に打ちひしがれ、どんなに疲れ果てていても、また朝が来れば起き上がり、子どもたちを食べさせるためにしなければならないことをするかどうかを知りたいのです。
あなたが誰を知っているか、あなたがどうしてここに来たかは関係ありません。
私と共に決してひるまずに炎の只中に立つことができるかどうかが知りたいのです。
あなたがどこで、何を、誰と勉強したかはどうでもいいことです。
私が知りたいのは、皆が見捨ててたった一人になった時、あなたの内側からあなたを支えるものは何かということです。
私はあなたが自分自身としっかり向き合い、その何もない時間の中にいる自分を心から愛しているのかどうかを知りたいと思っているのです。
――オライア・マウンテン・ドリーマー
(シルビア・ブラウン 『あなたに奇跡を起こす スピリチュアル・ノート』 、2003年)
この詩が少しでも傷ついた人に届くのを願います。
そしてまた立ち上がれるときの応援になればと。
他人の目を気にして自分の行動を決めていた
とくに、日本人であるということは、ほかと合わせる、同調圧力がとても強く、人から外れたことはできない、逸脱した行為はできない風潮にあります。
こんなことを思ってしまう自分は変だろうか?常に人の目や周囲の反応を気にして、自分の行動を決めることが当然の行為になってしまいます。
- 自分自身に正直であるためには、他人を失望させることでさえ敢えてすることができるかどうか
- 裏切りだと責められても、自分自身の魂を裏切るよりはその非難に耐える方を選ぶことができるかどうか
こんなことを考えたこともありませんでした。
悲しませるくらいなら自分を犠牲にしてでも他を優先する意識が常に自分の中にありました。
あなたの内側を支えるものは何か
また最後の一文
皆が見捨ててたった一人になった時、あなたの内側からあなたを支えるものは何か
非常に重要だと思いました。
これは、自分が生きていく中で一番大切にしなくてはならない部分です。
ほかの人の基準ではなく、ほかの人がいくら自分のことを非難し、悪く言ったとしても
自分で自分を支えるということ。
自分の心の底から、内側から大切にしなくてはならないこと。
それが自己肯定感につながってくるのかもしれません。
いい人ぶった結果自分が腐る
嫌いな人からは何をしても嫌われる
この退職日の出来事でわかったことは
自分が何をしても、
またはしなかったとしても、
嫌いな人からは嫌われる
ということです。
常に自分は他人の目を気にして生きていることがわかりました。
他人が望むと思われる行動を当然として自分の行動に取り入れていたのです。
私はわざわざ餞別を持って行ったのに、その見返りが何もなかったといってがっかりしていました。
しかしながら、もし何も渡さなかった場合はどうでしょうか。
あいつ、何も持ってこずに辞めやがったよ!!
ほんと常識のない人間だね
辞めてもらってよかったわ
また、持って行ったものも気に入らないと言って文句が出ている可能性もあります。
この品物趣味悪~い
私嫌いなものだわ
自分が何をしてもしなくても、嫌いな人からは嫌われます。
だとしたら
自分の心にもう少し正直になればよかった
今からでもその時点に戻れるならそう思います。
これだけのことをされてきたのに、無理やりにでも閉じ込めようとしていた
いい人ぶっていた。
自分の本当の心と乖離(かいり)していた。
いやならいやで、相手に対してそれなりの対応をするべきだったのです。
無視するなり、言い返すなり。
相手の言いなりになり、相手と一緒になって自分をいじめていたのは、致命的な間違いでした。
年賀状でもいい人ぶる
仕事を辞めて二か月、形だけの年賀状が上司から届きました。
ここにおいてもまだいい人でありたい自分は
今までお世話になりありがとうございました
ご迷惑をおかけしてばかりで申し訳ございませんでした
感謝の気持ちを述べた年賀状を返送しました。
本当にバカでした。
金輪際、顔も見たくない相手に対してわざわざ、どうして返信する必要があったでしょうか!
これもまた自分の気持ちをねじ曲げていたのです。
いい加減忘れなくてはいけない
いつまでも恨みの心を持っていてはいけない
許さなくてはいけない
と自分に言い聞かせていたのです。
結論|無理に許さなくてもいい
今はこう思えます。
無理に許さなくてもいいよ
無理に許そうとしていた、前を向いて早く立ち直らないと…
こうやって焦る気持ちばかり空回りしてその結果、何もできなくなった自分。
世間を怖がって、一歩も踏み出せなくなりました。
いつか許せる日が来る。でもそれは急いではダメ。
長くなったので次回、この「許せない」感情については続きます⇒【許せない過去の恨み】
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